随想目録

舞台オタク女子大生の雑考

オタクと認知

推しのDVD発売イベントが終わった。

4日の部全てに参加してきたが、今回のイベントはすごく新鮮だった(関西住みということもあり、あまりイベントに参加する機会もなくイベント自体が新鮮だということもあるのだが)

今回のイベントは席運が妙に良く、整理番号が39、16、10というような全部2桁前半であった(キャパは180)。3部では推しの目の前に座ることも出来た。

新鮮だったといったが、その最たるところは認知である。

応援の対象に把握されることを認知というが、今回はそれを少し感じるような現象が起きた。

 

2部のハイタッチで、「奈良から来ました」と言った。関西から来たと言えば話のネタにもなるかなと思ったのだが、推しからは予想以上の反応があった。

推し「おお!ありがとう!!なら!!(手を叩く)」

まあ、ここまでは普通の反応なのだが、

3部でそのことについて反応があった。

 

推し「さっき奈良から来たって人がいたんだよね。奈良から来た人〜」

 

丁度推しの目の前に座っていた回でのことである。

手を挙げると指をさして喜んでくれた。

認知と言ってもとても些細なことなのだが、先述したようにイベントに参加すること自体が少ない身なのでとても驚いた。

 

さて、オタクと認知というと、いろんな意見がある。

認知されたくないオタク、認知されたいオタク、認知されたいオタクが嫌いなオタク、認知されたくないオタクが理解できないオタク、まあ、様々に意見が交錯していて、きな臭いような話題なのであるが

私は、自意識をこじらせている人間であるから、あまり認知がされたくない人間である。というよりも、「(どんな人か知らないけど)いつも応援してくれるふるかわさん」でありたいのである。人間関係を築きたいとかはさらさら思わないし、実物の自分と、名乗っている名前とがあまり結びついて欲しくない。でも、少し認知されたいような……という非常にめんどくさい自意識なのである。

正直その認知に対する意識で何が正しいとかはないと思うのだが、今回感じたのは、「こういうことを覚えてはいけないな」ということだ。

”見られたい”という意識になった時点で、おたくとしては終わっているなと感じた。認知を求めることは間違ってるとは言えないが、おたくとしては間違っているような気が私はしている。

コツコツと応援し、あくまで、推しが芸を育てる土壌としてありたいと思った。

女の自意識と他者からの意識の二律背反

女であること

私は女であることが苦しくて仕方が無い。

別に性自認の話をしたい訳ではなく、性自認は身体と一致しているし、男になりたいわけでもないが、女である自分の身がすごく不憫だ。

 

自分は見た目が醜い。どこがどう悪いのかとかは自分でもあまり良くわかっていない。多分自己醜形嫌悪の類なのだと思う。

醜い女であるのにも関わらず、生理現象的に女に付随することが起こってくる。生理やそれに関わってホルモンバランスの乱れ、などがそうだ。私はそれがとてつもなく憎い。

女でありたくなくて普段男装のような中性的な服装をしているが、どれだけ外見を着飾っても、それはあくまで外に見える私を変化させているだけであって、私から見える私は依然として女であるし女の苦しみを享受している。

私は醜いから、女であることでまず得したことは無い。モテたこともないし、当然彼氏もいない。なんなら全性愛者であるから、おんなの子を好きになった場合は損でしかない。得というのはやはり外部から得る特典みたいなものであることが多いから、女から逃避したおとこおんなの私では駄目なのだろう

でも苦しみは勝手に内から生まれてくる。痛み、精神の不安定さ、貧血、など。

苦痛のみにしかどうしても視線を向けることは出来ない。なぜだろう。そもそも、体が健康である時に意識して感謝することはまあ無いだろう。だから幸せには目が向かないのだろうか。

とはいえ私は私の自意識をゆっくりと社会的女に溶解させていかなければならない。その方が生きるためには楽だし、ジェンダーとセックスの違いなんて実際生きててそんなに意識してくれる人も多くない。だから余計。他人の無神経から逃れるためにも必要だ。如何にして溶解させるかが大きな課題だ。

初座長公演終幕

終幕

劇場から難波の雑踏を抜けて電車に乗る。電車の扉が閉まり走りだす。窓の外の景色が飛んでいくのをぼんやりと眺める。

舞台『弱虫ペダル』~箱根学園新世代始動~、推しの俳優が初座長を務めた舞台の幕が閉じた。

現状としてはただ呆然としている。舞台のハナシ自体の熱量、俳優たちの生み出す熱量、達成感、客席の感動、そういったものにただただ気圧されている。呆然としながら、熱の冷めないうちに思いを言葉に起こしていこうと思う。

 

 

「幸せだ!!」

4度にも及んだカーテンコールで、推しは叫んだ。「幸せだ!!」その言葉が胸に刺さり思わず涙が溢れた。

初の座長公演、しかも学校の代替わり、新世代の始動を背負う公演、なかなか捌けない大阪のチケット、仲間に加わる新キャスト、様々な不安が彼にのしかかっていたことが慮られる。その公演の真ん中にしっかりと立って戦った彼をまず褒め称えたい。

彼をデビュー作から応援してきたが、明確な形として彼の努力が報われるのを初めて目の当たりにしたような気がする。絞り出したような「幸せだ」という言葉に、私は、彼を応援してきて心からよかったと思ったし、自分の応援が、どれだけ些細なものだったとしても、彼のこの幸せの一端を微かにでも担えていたのかもしれないという、完全にカタルシスだが、最上の幸せを感じた。自分自身もなにか報われたような気さえした。

 

舞台『弱虫ペダル

ここで、推しから一歩離れて、舞台の総評を書きたい。

舞台『弱虫ペダル』は、若手俳優の舞台作品としては言うまでもないほどの有名シリーズである。2012年の初演以来公演を重ね、今回で9作目となる。

私は、舞台『弱虫ペダル』はものすごい熱量がとても冷静な緻密さで語られている舞台だと思う。気圧されるほどの熱量を持っているが精彩欠くことなく、どこまでも美しいのである。映像では初期3作品を見て、前回公演で初めて劇場に足を運んだのだが、映像で見る時以上に迫力と緻密さのアンバランスな融合に感動した。全盛期を作り上げた初期のキャストが卒業していった今でも、きちんと演劇できちんとエンタメな作品が丁寧に紡がれていて、シリーズとしての根強さの所以を感じる。

今作はライバル校である箱根学園をメインに据え、卒業する3年生の先輩との追い出しレースや新世代が新たなメンバーを迎えることによって新たに問題を抱え、それに立ち向かっていく様子が描かれている。心がうち震えるような熱さと、美しい舞台芸術の融合は贔屓目なしにしても面白く、普段若手の舞台を見ないひとにも見てもらいたいし、安心しておすすめできる作品だと思った。

私は今作にいたく感動した、こんな素敵な作品で推しが座長を務められたことがとても幸せである。作品に関わった方々には、感謝の言葉しか見つからない。素敵な作品をありがとうございました。

 

先へ

推しは来年、ミュージカル『薄桜鬼』原田左之助篇で、また座長として舞台に立つ機会をもらっている。ありがたいことである。デビューしてまだ3年ほどだがその努力が評価されてきたとともに、俳優としてどこまでやれるか見られている、試されているのだと思う。今年は彼にとって成長の年だったと思うが、まだまだ伸び代はある。もっともっと求められる役者に、見たいと思われる役者になってほしい。そしてまた、彼が舞台で幸せを発露させる瞬間を目撃したい。

頑張ってください、東啓介さん。応援しています。