随想目録

舞台オタク女子大生の雑考

女の自意識と他者からの意識の二律背反

女であること

私は女であることが苦しくて仕方が無い。

別に性自認の話をしたい訳ではなく、性自認は身体と一致しているし、男になりたいわけでもないが、女である自分の身がすごく不憫だ。

 

自分は見た目が醜い。どこがどう悪いのかとかは自分でもあまり良くわかっていない。多分自己醜形嫌悪の類なのだと思う。

醜い女であるのにも関わらず、生理現象的に女に付随することが起こってくる。生理やそれに関わってホルモンバランスの乱れ、などがそうだ。私はそれがとてつもなく憎い。

女でありたくなくて普段男装のような中性的な服装をしているが、どれだけ外見を着飾っても、それはあくまで外に見える私を変化させているだけであって、私から見える私は依然として女であるし女の苦しみを享受している。

私は醜いから、女であることでまず得したことは無い。モテたこともないし、当然彼氏もいない。なんなら全性愛者であるから、おんなの子を好きになった場合は損でしかない。得というのはやはり外部から得る特典みたいなものであることが多いから、女から逃避したおとこおんなの私では駄目なのだろう

でも苦しみは勝手に内から生まれてくる。痛み、精神の不安定さ、貧血、など。

苦痛のみにしかどうしても視線を向けることは出来ない。なぜだろう。そもそも、体が健康である時に意識して感謝することはまあ無いだろう。だから幸せには目が向かないのだろうか。

とはいえ私は私の自意識をゆっくりと社会的女に溶解させていかなければならない。その方が生きるためには楽だし、ジェンダーとセックスの違いなんて実際生きててそんなに意識してくれる人も多くない。だから余計。他人の無神経から逃れるためにも必要だ。如何にして溶解させるかが大きな課題だ。